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​福生山

​真宗大谷派

專性寺

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​【本山】

真宗本廟

(東本願寺)

​真宗大谷派

​【宗派】

親鸞聖人

​【宗祖】

​【本尊】

阿弥陀如来

​專性寺

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​由緒

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福生山(専性寺の山号)は天台宗であって、当寺は同町山王宮東南方湯原山麓新規庵と称し、元禄2(1559)年2月3日野火にて焼失した。元亀元(1570)年、大坂本願寺における石山合戦が始まり、また、織田信長が浅井・朝倉と戦った、姉川合戦が行われたこの年に、合向井寺の地に、「開祖 瑞心」天台宗寺院一宇を建立した。その後、二代住職 釈善徳 改宗(浄土真宗)して「専性寺」の寺号を受ける。

天正4(1576)年3月、「福生山 専性寺」の寺号御本尊を許される。

東西分流において教如上人の流をくみ東本願寺であったが、黒田長政の命により筑前の国は西本願寺に転派させられた。長政没後、東本願寺(真宗大谷派)に帰山した。3代目住職、釈白雪の時、寛永7(1630)年8月15日夕刻、本堂及び庫裏を焼失した。4代目住職、釈雪竜 正保2(1645)年4月4日、本堂及び庫裏を現在の位置に再建した。当時は門徒千有余戸であって、宮田以西の鞍手庄・宗像・嘉穂(建花寺)にもその範囲が及んでいた。筑前旅人の受持の寺であるが為、当時の転住所は悉く、此の専性寺のもとに届出許可をなしていた。寛永10(1670)年4月寺格 飛担地恩賞になる。寺伝に由れば、

不焼地蔵は行基の作と云われている。また、宝暦7(1755)年建立の一宇一石塔があり、九条道實寄進の三部経を宝物とする。ただ惜しむべきは、昭和35年5月、隣家の火災により類焼して、本堂・庫裏とも全焼したが、門信徒の浄財によって、現在に至る。

​アクセス

若宮インターから車で10分

​JR篠栗駅から車で25分

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